内面化された規範に囚われる悲劇〜イースター島の悲劇に学ぶ

前回のコラムでは、ヴァイキングの悲劇を事例に、過度に内面化された規範が人間の行動を制限してしまうのかの知見として見てきました。

今回は、前回と同じく、ジャレッド・ダイヤモンドの「文明崩壊」をもとに、イースター島の文明を崩壊させた精神性から、現代の私たちが反面教師として学べる規範の内面化の教訓を説明していきます。

1、イースター島とモアイ

a: モアイとはなんだったのか

南太平洋のイースター島とそこに立つ石像モアイは皆様もよくご存知だと思います。なぜ絶海の孤島で多数のモアイが建てられたのでしょうか。

海に立ってたつモアイ像(AI生成によるイメージ)

本書によれば、これは文明が間違った方向で不毛な競争にとりつかれた失敗の結果であり、そのことが文明自体を滅ぼしてしまったということらしいです。

簡単に紹介していきます。

b: イースター島は航海民が辿り着いて始まった

イースター島は周辺2000km以上にわたって有人島が一切なく、人類の居住地でもトップクラスにたどり着くのが困難な場所にあります。長年にわたって無人でしたが、4世紀から13世紀(諸説あり)についにこの島を発見する民族が現れました。

それが天体観測とアウトリガーカヌーによる優れた航海技術で東南アジアから太平洋の島々に拡散したポリネシア人です。

航海に長けた民族ポリネシア人(AI生成によるイメージ)

ポリネシア人は太平洋の各島を結んでの交易が盛んでした。

しかしイースター島はあまりに遠隔地であったこと、また島に森林資源が豊かだったことから、植民後は他島との交易はあまり行われなくなり、内向きの農耕文化になっていったようです。

c: モアイの起源

やがて集落に格差ができ階級が生まれると、集落の指導者同士がお互いに自分の権力と富を顕示したいという欲求が生まれます。

その手段として行き着いたのが巨大な石像=モアイを建てることでした。モアイは石を切り出し、木に載せて運び、立てるために膨大な人力と木材を必要とします。

モアイ建設(AI生成によるイメージ)

いかに大きいモアイをたくさん立てられるか、が集落同士の優位性の評価になるため、相手より優位に立とうと、社会がモアイを立てる競争に次第に傾いていきます。

このため森が切り出されました。人々も農業の生産性を上げたり、インフラや教育などで社会を発展させるためではなく、モアイ製作に多くの資源をさかれることになりました。

イースター島の森林資源は枯渇した(AI生成によるイメージ)

つまりモアイとは見栄消費で、社会資源を浪費する無駄そのものだったと言えるようです。

d: 島の生産性が低かった

ここに孤島特有の事情が関連し、悲劇につながります。

  • 大きい島であれば森を切り出しても回復したでしょう。
  • 外部の島と交流があれば外部の情報も入って不毛な競争はさけられたかもしれません。
  • 人口が多ければ社会がモアイという一つの価値観で邁進してしまうこともなかったかもしれません。

しかしイースター島では小さい島なのに1万人の人間が過密に暮らしていたうえに、森林資源が枯渇してしまったため、新しい船が作れなくなり貿易も行われなくなっていました。

しかしここにきても、モアイで集落が見栄を張り合う生活習慣は変えられないばかりか、作られるモアイの大きさばかりがますます大きくなっていったようです。。

e: やがて文明の破滅がやってきた

このように社会が閉塞していった末、15世紀ごろから集落同士の見栄の張り合いが加速し、遂に敵対する集団同士がお互いのモアイを倒しあうモアイ倒し戦争が始まったとされます。これにより社会の衰退が決定的になります。

モアイ倒し戦争(AI生成によるイメージ)

すでに資源も使い尽くし過去の叡智も継承されなくなります。社会が不可逆的に破滅へと動き出したのです。

さらに運の悪いことに、この後18世紀にヨーロッパから来た航海者に島が発見され、疫病や奴隷貿易が持ち込まれたことで、完全に文明は滅亡してしまいます。20世紀初めには全盛期の人口1万人からわずか100人へと1/100ほどになってしまったようです。

ヨーロッパ人の来寇がイースター島にとどめをさした(AI生成によるイメージ)

一度は繁栄した文明が急速に滅んでしまったのは、住む人々にとっては自分の住む世界も家族も仲間も全て失われていった大変な悲劇と言えるでしょう。

f: なぜ見栄の張り合いやめられなかったのか

ここに人間の不思議な心理を見ます。

指導者がもっと早く資源の枯渇に気づき、公益のためにリソースを割いたら破滅は避けられたはずなのに、なぜ不毛なモアイ戦争に突入したのでしょうか。

これは見栄が単に自分の力を見せつけるだけではなく、それが実際の権力の後ろ盾になっていたから、だと考えます。すなわち指導者には本当の実務能力よりも、リソースを扱える権限がある有力者だと集団の構成員から見なされることが重要だったのだと思います。

首長権力の誇示としてのモアイ(AI生成によるイメージ)

そして短期的にはそれは正解だったのでしょう。しかし長期的には誤った方向に社会が傾きはじめても、ただ資源が浪費されるだけで、誰も正せないということにつながっていきます。

2、気前の良さという内面化された規範

これはイースター島に止まりません。

閉鎖的な社会では、気前よく振る舞える人が、リソースの分配権限がある人として、敬意を持たれるということが多くの社会で繰り返されてきました。

北米の先住民が展開してきたポトラッチが典型です。

a: ポトラッチとは

ポトラッチとは、二人の人物や共同体どうしがお互いに相手からもらった以上のお返しをすることを延々続けていくという文化です。

北米大陸各所で行われたポトラッチ(AI生成によるイメージ)

首長は財産を得てもそれを自分や身内のために有効活用せず、宴会などで気前よく飲食やプレゼントの形で相手に振る舞うのが美徳とされました。またトーテムポールのような実用性のない見栄財を多く作り共同体に寄付する事で威信を見せつけてきました。

バンクーバー・スタンレーパークのトーテムポール(2025/11 著者撮影)

結果的に、能力より気前の良さが優先されるので、能力がある人がたとえ稼いでも資本蓄積が妨げられ資本が成長産業に集中投資する事ができず、これらの社会が停滞したままだったという面があると思います。

b: 日本社会のポトラッチとは

そして日本でもまた同じ、気前の良さという規範が私たちの無意識に内面化されています。実務能力ではなく、本来の仕事外での気前の良さが評価されるという面は多くの職場で共通しているのではないでしょうか。

たとえば上席になればなるほどこのようなことを意識せざるを得ないでしょう。

  • 飲み会では気前よく大金を払う
  • 必要もないのに後輩や部下を誘い出し奢る
  • 家や車も自分の格に相応しいと思うものを買う

また一般の社員でも自分のリソースを使って、職場に気前の良さを示すことが重要です。

  • 私用であっても職場には旅行のお土産を持って行きみんなに配る
  • 皆で外食にランチに行く
  • 飲み会に必ず参加する

と言った浪費行動を取れることがしばしば仕事能力以上に重要視されるのは多くの方にも実感があると思います。

これは必ずしも悪いことではなく、職場の人間関係を円滑にし、序列を明確にする効果はあったのでしょう。

ただこのような気前の良さの内面化が会社員の限られた資源を無駄に奪い、個人の資本の蓄積を妨げ自由を奪ってきた面は大きいと思います。

c: 気前の良さは共同体への従属を強める

このような気前の良い振る舞いは結果として多くの人は職場という共同体の内部では評価されつつも、経済的には会社への隷属を強めていったのではないでしょうか。

奇妙なことですが、イースター島を滅ぼした精神性である、無駄なことにお金を使う人間こそ共同体では正しいという悪弊が、現代の日本人にも内面化されて無意識に受け継がれていると思います。

この内面化は日本人の多くを多少なりとも縛り不幸にしてきました。

d: 個人がポトラッチから脱するということ

近年、会社の飲み会に参加したくないという人が声を上げるようになったのは大きい進歩と考えます。

興味深いのは、この声は若手社員だけではなく、むしろ中堅・年配の社員からも多く上がっているということです。気前よく振る舞うことの虚しさ、無意味さに気づいたのかもしれません。

職場でも共同体でも気前良さが評価されるようであれば、それを当たり前のこととして受け入れず一度自分に問いかけてみてはいかがでしょうか。

飲み会をあえて断る人(AI生成によるイメージ)

自分に問いかけるのは以下のような問いです。

  • なぜこの場では気前の良さが評価されるのか
  • 自分の本来の資産・健康・時間・幸福を削っていないか
  • 本当に必要なことなのか

自分の行動を客観的に見るメタ認知こそが、ポトラッチ的浪費を行ってしまう内面化から個人を救うのだと思います。

この批評精神をもてず見栄消費が一直線に進んでリソースを浪費してしまったのがイースター島の悲劇であり、またそれを客観的に見直せるメタ視線こそが、今の私たちを救うのだと考えます。

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