今回は、中世のヴェネチア共和国でガレー船を漕いでいた人々の歴史から、労働者も経営者も、ともに資本主義社会を生きるヒントが得られるのではないか、というお話をします。
1、中世のヴェネチア共和国
かつてイタリアのヴェネチアは、ヴェネチア共和国という独立した都市国家だったのをご存知の方は多いでしょう。この国は選挙で選ばれる総督の統治下で、自由市民が参加する海軍が特徴とし、戦争の多かった中世のイタリアにあっても、18世紀末まで1000年以上の独立を保ち、特に11世紀〜15世紀は地中海最強の海軍国として名を馳せました。
この時代のヴェネチア共和国の基幹産業は地中海の交易でした。
コンスタンティノープル(今のイスタンブール)や黒海のクリミア半島から買い付けた香辛料や贅沢品などの物品をヨーロッパに運び、フランスやスペインなどのヨーロッパの諸国に販売し、多額の利益を出していました。

2、ヴェネチア共和国とガレー船
ここで使われたのがガレー船という船です。ガレー船は、スペイン無敵艦隊で有名なガレオン船や東インド会社などで有名なクリッパー船などの帆船とは違いオールがついているのが特徴でした。船の左右の弦に多数並んだオールは、漕いで進むことで風が無い時でも航行でき、また短時間であれば非常に速いスピードを出せることが帆船に対する優位点でした。
一方多くの漕ぎ手が必要なこと、それほど多くの物が積めないことから、もっぱら風が強くなく沿岸が近くて補給がしやすい地中海地方で多く使われました。
ヴェネチアはこのガレー船を交易にも海軍にも用い国家の競争力の源にしていました。国営工場のアルセナーレで多数生産し、全盛期ヴェネツィアは45隻の大型ガレー船、300隻の大型帆船、3000隻の小型帆船を所有し、総勢3万5000人を超える船員を雇用していたそうです。

3、ガレー船は誰が漕いだのか
ガレー船はどのように動かしたのか
これだけの数のガレー船を常備すると当然多数の漕ぎ手が必要になります。一般に一隻につき200名程度の漕ぎ手が必要だったそうです。ちょっとした企業以上の人員ですね。
多くの国では、ガレー船の漕ぎ手は奴隷や捕虜が担いました。皆さんの中にも、1950年代の名高い映画の“ベン・ハー”をご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。
映画「ベン・ハー」にみるガレー船労働
古代ローマ時代の裕福なユダヤ人だった主人公ベン・ハーは、友人の裏切りで奴隷身分に落とされ、ローマ軍のガレー船漕ぎにされます。狭くて暗いガレー船の船底に鎖で繋がれ、外に出ることもできず、来る日も来る日も奴隷監督が叩く太鼓にあわせて巨大なオールを漕ぎ続ける地獄のような日々が描写されます。
2年の重労働を経て、海賊との戦いで偶然ローマの将軍を救ったことで奴隷から解放されます。

※画像は Amazon.co.jp 商品ページ
(ベン・ハー (字幕版))より引用。
一般にガレー船漕ぎの奴隷は船室から出ることもできず、粗末な食事だけを与えられ健康が顧みられることもなく、長時間オールを漕ぎ続け、戦いになれば船と運命を共にする運命でした。寿命は短く完全に消耗品の扱いだったようです。有史以来の多くの仕事でも特に過酷な、地獄のような場所だったと言えるでしょう。
しかしなぜかヴェネチア共和国ではこの重労働が、多くの志願者が集まる、市民に人気の職場でした。なぜでしょうか。
4、なぜガレー船労働が人気だったか
市民としての職業ステータス
それはヴェネチア社会ではガレー船漕ぎが奴隷の労働ではなく、自由な市民が担う名誉ある労働として位置付けられていたことがあげられます。貧しい出の青年がまず財産を作り商業の世界に参加する第一歩でした。市民の名誉ある労働として、海戦の時は兵士として武装して戦う役割も期待されていました。
副業としての私的貿易
もう一点重要な点として、職業への役得があったことも大きい理由です。ガレー船漕ぎは船内の各自のオールのそばで寝泊まりをしましたが、それぞれに自分の荷物を収納する小さいスペースを与えられていました。ここに何を積むのも自由だったので、漕ぎ手は着いた先のコンスタンティノープルやクリミアで、自己資金で物品を買い入れ、ヴェネチアに帰国した後売り捌くことで何倍もの利益を得られたと言います。
給料以上にこの役得が魅力的だったようです。実際に多くの青年が裸一貫のガレー船漕ぎから始め、生き残り、大商人になったようです。それは国が勃興期だった中世初期にはことに顕著な傾向だったようです。
5、ガレー船漕ぎからスタートした人生はどうなったか
ガレー船で資本を築く
裸一貫でガレー船漕ぎになった若者の人生を想定してみましょう。
実家は無産階級や小作人で資本がない若者が、体力だけには自信があるので、コンスタンティノープルにいく東方航路のガレー船漕ぎに志願します。
最初はお金がないのでほとんど物も買えません。しかし帰国後に給料を受け取り、次の航海ではコンスタンティノープルで安い服を仕入れることができ、ヴェネチアで売り給料+αの収益を得ることができました。最初の資本です。
航海を経るごとに資本が膨らみます。買って帰る物も香辛料・貴金属などより高額なものにアップしていきます。時には珍しい機会に思い切って資本を投じることもあるでしょう。コルキス(黒海地方)で当時珍しい絹をまとめて買ったり、ビザンツ帝国の内乱に乗じて流出した宝石を買ったりする機会もあったかもしれません。
ここで重要なのは、運に関係なく自己資本+目利きで、才覚があれば大きく資本を増やしていくことが可能だったということです。
資本による自己実現が可能だった国
もちろん現代とは比べ物にならない危険な職業だったことは言うまでもないでしょう。しかし運良く何十回の航海を生き残るころには、自分の資本を用いながら、船の環境をレバレッジに稼ぐ立派な自己商になっていたことでしょう。それを元手に自分の船を持ったり、商会を始めたりということも不可能ではなかったはずです。
これは身分が固定して社会の流動性がなかった中世では異例の、自己資本形成ができるキャリアだったと考えます。

6、ガレー船から学ぶキャリアプラン
自己資本と組織のレバレッジ
この漕ぎ手の人生から、多くの人が会社人生を幸福に送るヒントが得られると考えます。それはひたすら組織に貢献するように見えるハードワークでも、自己資本の視点を忘れなければ、組織をレバレッジに大きく資本を増やせる、という視点です。
人生の資産形成という視点で考えた場合、初期から資本があれば商船や仕入れに投資して資産増を加速することができます。しかし多くの人のように初期に自己資本をもたないままのまま労働でのみ資本を作る人生だと、レバレッジが働かず財産形成に時間がかかったでしょう。
ヴェネチア社会が巧妙だったのは、自己資本を持たない若者にも、船室スペースの提供という形で給与以外に資本増の機会を与えた事です。
資本家視点を育てる場所
給与が高いだけだと、漕ぎ手におそらく資本形成という視点は育たなかったでしょう。
漕ぎ手としては雇われながら、小規模の自己商として活動できるレバレッジを社会が提供できたことが、漕ぎ手に小規模な資本家マインドを持ち込み、優秀な人を選別する機会になったのではないかとおもいます。これを容認したヴェネチア社会もまた、健全な中産市民を育てることで内需や資本成長を促し国力につなげたのですから、資本家・経営者の視点からも極めて有用な施策だったと言えます。
7、現代に生きる教訓は何か
ヴェネチア共和国に学ぶ3ポイント
労働者にも経営者視点を持て、という経営者は多いです。しかし安直な押し付けは労働側の反発を招くだけでしょう。ヴェネチアに学ぶ、労働者に経営者視点を持たせるために必要なポイントは以下の3点に整理できると思います。
1、企業の成長が労働者の資本成長と同じ方向にあること
2、企業が労働者の資本成長にレバレッジとして機能できること
3、安易に給与アップに頼らず、労働者の資本家マインドを育てること
労働者と経営者が共に資本成長を目指す
現代だと、たとえば以下のようなことが考えられると思います。
- 自分の資本で経営に参加する。(持株会)
- 資本と労働者が利害関係を同じにする(自社株の保有、ストックオプション)
- 自分の才覚で商売ができる役得がある(業務時間の一部を自己研究に充てるルール)
- 会社だけで通じる教育ではなく、普遍的な教育を提供して人的資本を育てる
労働者と経営者の資本成長が同じ方向性を向けば、経営者にとってもプラスの効果を生むでしょう。
労働者と経営者の資本成長が同じ方向性を向くとき、組織は単なる生産の場ではなく、互いの人生を豊かにする船となるのだと思います。
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8、終わりに
本記事のガレー船に関する知識は、塩野七生さんの著書“海の都の物語”に依りました。
この本はヴェネチア共和国の勃興から滅亡まで1000年の歴史を二冊の文庫本で物語形式でまとめた大変面白い本です(現在は全6巻)。私自身、23年前にヴェネチアに行く際に、すでに何度も読んだ本書を携え現地であらためて読み返し理解を深めました。
組織論、軍事史、中世史、経済史としても大変面白い物語で、多くの人におすすめしたい一冊です。

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※画像は Amazon.co.jp 商品ページ
(海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年 1 (新潮文庫))より引用。

